恋心あふれでる

考えてみよう。

箱推しについて考える。

偽善者という言葉が頭を過る。

私が中学生の頃よく知りもしないで使ってた言葉だ、大人になって一応意味を理解して自分の過去を振り返って恥ずかしくなったものだ。

 

NEWS全員が好きだ、自担はいるけどいわゆる箱推し。NEWSの掛け合いが好きで、あの雰囲気が好きで、写真を買うときは満遍なくみんなが見える。

それが悩みの種でもある、1人に絞れないのは私の中に一本の軸がないからで、いろんな人のいい面を取り込んで、フラフラ彷徨っているから、だから私は現実に恋を出来ないのかもしれないし、たった1人のアイドルにガチ恋できる人間が羨ましい。

 

週刊誌に抜かれたらしいと、友人の増田担のツイートを見て知った。

私の心境は思いのほかフラットで、週刊誌に対する怒りも、アイドルに対する嘆きもなかった。

週刊誌はそれが仕事だし、真偽は別として記事には流行があるからその流れか、とも思う。でも抜かれた本人を叩くのはファンがその人のプライベートな生き方にまで口を出して、勝手に思った人生観を押し付けているみたいで嫌だった。

3次元のアイドルに画面越しで恋をする、と言うことは、必ず誰かのフィルターを通してその人を見てるいうことで、悪い面も見えないが、その人のいい面だって完全には見れない。

なので、その人の事を理解したつもりになって叩くのは傲慢なんじゃないか、というのが私の考え方である。

人間は変わらない、人の価値観は変えられないし、変えようともしたくない。それは個性がなくなるのと一緒だし、みんな同じ考えじゃないからこそ共感した時に友達や好きになれたりする。

だから、私はNEWSがどんな人でも、そういう人達のいい面だけを作られたフィルター越しに見て好きになったのだから、その人に石は投げられない。それが画面越しに恋ができる最大の利点である。

 

随分立派な事を言っているな、と思う。

尤もらしく、まるで好きなものから一歩引いているような意見だ。

 

嘆きも怒りもしないというのは、興味がないのと同じじゃないだろうか。

 

友人の増田担、手越担で話している時に増田担が「小山が好きじゃない、嫌いかもしれない」と言った。箱推しでいたかったから、嫌いという感情を押し込めたせいでモヤモヤしていた、と。

確かに聞いていて増田担の仕事への向き合い方と小山君の見える仕事の向き合い方が前々から真逆の価値観だなと思っていたので「嫌い」という感情はすんなり受け入れられた。(シゲのことは好きなのでまだモヤモヤしてるっぽい)

それが個性だし、そういう面も含めて増田担が好きだしそれが嫌だとも悪いとも思わない。

けど、グループ内で誰かの事は好きだけど誰かの事が嫌いになる場合もあるんだ、と初めて思った。考えてみたら個人が集まっているのがグループなのだから、当たり前である。

人の個性、価値観云々、そんな事を尤もらしく思っていたのに、どうして今までその発想がなかったのか。

私ももしかしたら、その可能性を考えたくなかったのか。

 

好きってどういう事だろう、私はもしかしてNEWS自体の熱に冷めてしまったのか。人を好きになるという感情がそもそも無いのではないだろうか。

でも、頭を幼稚園児に戻して、もし担任の先生に「NEWSのことはすきですかー?」とニコニコ笑顔で聞かれたら「すきーだいすきー、てごしくんかっこいーからー、シゲアキくんもけーちゃんもなかよしだし、まっすーもだんすうまいからだいすきー」私はこうなる。

言葉と行動と感情が伴ってないかもしれないけど、私はNEWSが好きだと言える。それがNEWSが今まで私に与えてくれた力とか勇気とか、コンサートで嬉しかったり楽しかったりする半永久的な貯金が私の心に残ってるからだ。もし、どうにかなってしまってもずっとNEWSが好きだ。

もう1人の私が自分の事を偽善者だと思っていても、聞かないふりと見ないふりは得意なんだ。

それもある意味NEWSが教えてくれた事だった。