恋心あふれでる

考えてみよう。

テゴマスの青春「ひとりじゃない」について考える。

 

 

エモい。

 

オタクが興奮した言葉で使いがちだけれど、あえて言おう、言わせてほしい。テゴマスの曲「ひとりじゃない」はエモい。

 

はじめに

 

私の熱のピークはこのブログを見直せばわかる通り約4年前。

時の流れの早さ、変わっていく周りの状況にとてつもない眩暈を覚えつつもそれと比例してアイドルへの熱は落ち着いていた。

もちろん、NEWSのコンサートは毎年行くしグッズも買うけれど、週刊誌の報道やラジオや歌番組はスルーする事も多くなった。

「まあ、こんなもんかな。」というのが私の感想である。人の怒りが3秒も保たないように、熱というのは時間と共に冷めていくものなのかもしれない。

 

それはふと思った、仕事中に歌が上手い人の落ち着く歌が聴きたくなった。それは私の中ではテゴマス一択で、早くiTunesにジャニーズも入らないかなぁと思いつつ、机の奥からCDプレイヤーを取り出してアルバムをセットしようとするが、ここで私はテゴマスのアルバムはそもそも1枚も持ってないことに気付く。

そこまで記憶が薄れていた事に若干ショックを受けつつ、今度は小型のDVDプレイヤーを引っ張り出して私は『テゴマスの青春』を入れたのだった。

 

2015年に発売された4作目、『青春』と呼ばれる本作は大人のテゴマスを魅せたいというテーマで作られた最高&最高のライブなのは頭の隅で感じていた。

それでも私は平熱の状態だったので「ヒカリ」から繋がる「青色ジュブナイル」「音色」を聴いたところで自分の要望通りの曲が聴けて満たされていた。

 

人間はなんて愚かなのだろう、忘れた頃に危険はやってくるのに、平和な時間が続くとこうも薄れていくものか。

 

次に来る「ひとりじゃない」という曲の恐ろしさを、私は時間と共に頭の隅に追いやりすっかり油断していたのだ。

 

 

 

「ひとりじゃない」

両耳から衝撃を感じた。今まで忘れていた記憶の扉が全部開いて、衝撃がそのまま身体中に広がって汗となり肌に滲む。仕事の手を止めて画面から目が離せない。なんだこれは、誰だこんな曲歌ってるのは、人間の2人組…?信じられない、天使じゃなかったか。何かわからぬままリピートした、途中若干イラついてる自分に気付く。あまりにも良すぎて怒りすら湧いてきた。理不尽だ。

 

忘れていた、本当に。時が経つと人はなんだって忘れる。いいか、全人類、聞いてくれ。

テゴマスの「ひとりじゃない」は最強なんだ。歌で世界を救うアニメがあったけどまさにそれ。生き残りたい、とひとりじゃないって語感も似てるし絶対そう。

 

「ひとりじゃない」が最高だというポイントは3つ。

 

  1. 始まっていないのに始まっている。
  2. 歌詞がとにかくエモい。
  3. 1人では完成しない歌である。

 

さあ、唐突に考えてみよう。今までのは長い長い前振りである。熱が戻ったここからが本筋。何故これほどまでに衝撃が走ったのか。

 

1.始まっていないのに始まっている

 

はじめに『青春』のセットリストを見てみると以下のような構成となっている。

まず「ヒカリ」は始まりの曲。青春の代名詞でもある大人なテゴマスのテーマ曲である、そこから一転、ステージが明るくなりテゴマス2人の姿が客席にはっきり映ると同時に、打って変わってアップテンポな曲が始まる。 

それが「蒼色ジュブナイル「音色」である。

ここで私たちはテゴマスに安心させられる。『なんだ、大人とは言ってたけど、やっぱり手越くんも増田くんもあの頃とは変わっていない可愛いままだ』と。

特に「音色」はテゴマスの2枚目のアルバム「テゴマスのあい」に収録されているように、テゴマスの子供らしさの残っているピーターパンのような曲だ。

だが、恐ろしいことに、ここからもう既に「ひとりじゃない」は始まっている。

 

「音色」の最後のハモリで2人が顔を見合わせる、アップテンポの曲がそのままのテンションで弾ける様に終わりを告げる、観客の拍手、の鳴り止まない間に再び2人は顔を見合わせる。

「ひとりじゃない」の1番最初のハモリが始まった瞬間、あの無邪気で可愛いらしい「あい」を歌ってた2人はもういない。パンッと空気が弾けたら、世界が切り替わりいつの間にか過去から未来に繋がる。

現れたのは紛れもなくあの頃とは違う大人なテゴマスでその瞬間に衝撃が走る。思わず立ち上がって思い切り拍手しそうになる。

 

もちろん曲は最高なのだが、それは全ての曲に共通することだ。なのに何故、「ひとりじゃない」だけにこんなに強い衝撃を覚えるのだろう。

その演出のキーポイントとなる曲が「音色」だと私は思う。

「あい」の代名詞とも言える「音色」。その曲調があんなに無邪気で、可愛らしく、のびのびとしているから「ひとりじゃない」に切り替わる第一声のハモリにメリハリが出る。それは聴いた瞬間、まるで一瞬で世界が切り替わったように錯覚する。そして人は考える間も無く大人のテゴマスを見た感動と未来に来た衝撃、そして感謝に身を任せて泣くことしか出来なくなるのだ。

つまり「ひとりじゃない」がより衝撃的なのは「歌が始まる瞬間」が衝撃的ではなく「歌が始まる前の演出から衝撃的」なのだ。

何を言ってるかわからないだろう、私も伝わってるか不安ではあるがそういうブログなので続ける。

 

2.歌詞がとにかくエモい。

 

「ひとりじゃない」の歌詞は「よくある街に生まれた、よくいるタイプと言われてきたボク」「キミ」で構成されている。歌詞を全て通して見ると「ボク」は「キミ」に対して一方的に想いを向けているように思える。「ふたりでいよう」「ひとつになろう」「キミのかわりになる人はいない」と言っているがそこに「キミ」がレスポンスする事は無い。では何故この「ボク」はここまで「キミ」に想いを寄せるのか。

それの答えは2番のサビ「ボクをわかってくれるキミ」という部分なのだと私は思う。

 

この歌で「ボク」の気持ちが現れているところを引用する。

"今までずっと孤独をかかえて生きてきたよ
だけどボクはキミと会えたから 会えたから
右手にやさしさを 左手に勇気を
キミに出会うまでのカナシミは強制終了!!"

私は初め違和感を覚えていた、よくある街に生まれた、よくいるタイプの人間はむしろ普通に友達が出来るのではないのか、孤独を抱える事が少ないのではないか。ここがアホだった。

「ボク」は「よくいるタイプ」と自覚しているわけではなく「言われていた」だけである。

 

人間には理性というものがあり、自分の考えを言わない、という選択をする事が出来る。サトラレでもない限りそれは全てが表には出ず、他人がその人を全て理解する訳ではない。

側から見たらよくいるタイプに見えても、やっぱり個々は別々である。他者と意見が合致する事はあってもそこへ繋がるプロセスや思いは千差万別だろう。それが個性というもので、全員が同じ道筋で同じことを思っているという事は親子でさえ存在しない。

 

「よくいるタイプのボク」の視点から見た「ボク」はよくいるタイプではないということ孤独というのはそのプロセスをわかってもらえず多数派として認識されること、 そこを「キミ」はわかってくれたわけだ。理解者に想いを寄せるのは当たり前だ。そもそも論として自信が倒錯していなければの場合だが。とにかく、その「わかってくれた」が存在の認識なのか個々への理解なのかはわからないが、回答が来ずとも「ボクをわかってくれるキミ」に「ボク」は想いを寄せているのだ。

 

さて、その感情は恐らく恋という感情なのだろうが、そこはどうもうまく飲み込めない。

この歌で恋という単語が出てくるのは一度のみ。

"よくある恋の話だよね よくあるカン違いなのかもね
だけどこれだけは言えるよ キミのかわりになる人はいない"

「よくいるタイプのボク」は自分をわかってくれた「キミ」に対して特別な感情を抱いている。そんな「ボク」がよくある恋か、それともその全て勘違いなのか、そう感じた時、たったひとつ何を思うかといえば「キミの代わりになる人はいない」という個人への尊重なのである。

これはつまり誰でもいいわけではないということ、「よくある、よくいる」という多数派には振り分けられないこと、それは恋などでは片付けられないほど純粋で清く重たい感情なのではないだろうか、エモい。最強にエモい。

 

ここで度々出てくる「セカイ」というものに目を向けたい。「セカイ」というものは文字通りWorldの事なのか、それとも別の意味合いがあるのか解読していきたい。この歌の中では2人でいれば「セカイ」は止まらず、飛び込める。

何故わざわざハリウッド俳優のように世界に飛び込む必要があるのか、それはいよいよ恋ではないだろう、恋なら相手に目を向けるべきじゃないのか、と考えたがハッとした。

 

『2人でいればセカイは止まらない』それなら『2人でいなければセカイは止まる』のか、止まるのだ。

何故なら「ボクをわかってくれたキミ」を無くせば「ボク」は再び孤独になってしまうからである。

「キミ」にわかってもらえない「ボク」は他人から見て「よくいるタイプ」という多数派でしかなくなってしまい、それは個人ではない。

人は誰かに認識されて初めて自分が生きていると感じるものだ。誰かの目から消えるということは自分が消えると同義である。よって 2人だから「セカイ」は止まらないのであって1人なら止まる。

この点から考えて「セカイ」というのは、「自分と他者の心の世界」という概念なのだと私は考える。

 

歌詞を見てみるとわかるのだが、セカイへの見方が徐々に変わっていくのがわかる。

はじめはセカイが「止まらないように」「飛び込めるように」そして自分の気持ちを深く吐露してからは「止まらない…」となりはじめに戻る。なんかエモい。

はじめに私は「キミ」は一切レスポンスを返さないと言ったが、「セカイ」を読み解くとそれは違うのかもしれない。「ボク」が飛び込めるように、と言った「セカイ」は「キミ」の「セカイ」と考えれば、そのあとの左手と右手に持った勇気と優しさの意味もわかる。勇気と優しさが他者の心の「セカイ」に飛び込むために必要だったのだ。

 

「ボク」がカナシミを強制終了させた時、「ボク」は「キミ」の「セカイ」に飛び込んでいる。だから「止まらない…」と言い切りではなかったのかもしれない。そして大サビ「ココロの声を合わせよう」に繋がり、最終的に「キミ」と「ボク」の「セカイ」は止まらなかったのである。

 

ああ…

 

あーーーーっっ🤮

 

 

夜中、駅前でいちゃついてるカップルに(二人の世界だな)と思う。そこには蔑みの目線が少し入っている、気持ち悪いとかかっこ悪いとかそういうニュアンスもある。

だけど、こんなにも美しく純粋な「2人の世界」を歌った歌もこの世にあるのだ。

それを歌ってるのがテゴマスだ、歌詞を書いているのが松尾潔だ、作曲しているのが川口大輔だ。

わかってる、そうだよ、同じく「木漏れ日メモリーズ」も最強だ。でも「ひとりじゃない」はエモすぎる。

 

3.1人では完成しない歌である

 

そもそもテゴマスが属しているNEWSというグループは「『クラスを作った時に1番目立つ人達』で構成されている」というのを何かの雑誌で読んだことがあり、これが結構印象に残っている。

 

ヒエラルキーの頂点同士を戦わせるなんて、そんな少年漫画のようなシチュエーションがあるのか。

実際9人の時には圧倒的王者がいて、やはり集団となると自然と誰かが頭1つ抜き出るものであり、4人になった際「イチゴのないショートケーキ」と言われていた過去がそれを如実に物語っている。

そして加藤くんが本当は青が好きだったけど緑を選んだエピソード、手越くんがメンバーに言わずに歌の個人レッスンをしてたエピソードを聞くと、NEWSというグループの中では少なからずそこに戦いや葛藤があったのではないかと思う。

ただヒエラルキーの頂点が同じクラスに集まったからと言って誰にでもメンバー同士でライバル意識が芽生えるけではなく、小山くんと加藤くんの目線がNEWSのファンやメディア、他グループなど外に向いていたように本人達は毎年誕生日プレゼントを渡し会うくらい仲が良かったり、所謂シンメになるパターンもある。

 

一方で「テゴマス」はどういう2人だったのか、それは端的に言えば「同じクラスなら友達にならないだろう人同士が歌が上手いという他者からの評価でユニットを組む事になった」2人である。

 

同じクラスなら友達にならないとはどういうことか、先程のエピソードにもあったように手越くんは例え絶対的王者が君臨していようとも決して諦める事をせず、自分の武器を少しでも強くするために水面下で磨いているような人で、そして増田くんは王者がいても自分は自分で明確なアイドルという職業に対する道を作り、その道を踏み外す事なく歩み続ける職人のような人である。

 

「王者に挑む人間」「そもそも王者と向き合った上で自分の道を突き進む人間」それはかなり正反対の考え方であり、この2人がタッグを組むとなるとまさに少年漫画じゃないか、熱すぎる展開だ。熱い。萌えではなくマジで燃える。

しかも「歌が上手い」というのはどういうことかそれは「声質がいい」ということであり、ユニットを組むという事は「声質の相性がいい」ということになるだろう。なるよね、なるんだ。

整形などでは唯一変えることの難しい「生まれ持った声の相性」ときたらもうこれは、これは…、運命の他に表す言葉が見つからない。

 

私は昔から「相棒」や「チーム・バチスタシリーズ」「シャーロックホームズ」などタッグものに目がない、正反対の2人が大きな組織の大きな理由で自分達の意思と反してチームを組まされる状況にとてつもないロマンを感じる人間だ。そんなわけで(自分達の意志と反してたかは不明だが)「テゴマス」にもどでかいロマンを感じている。

ここのまとめとして、ここに出てきたエピソードの全てが私の想像でないことを祈る。

 

長すぎる。でもここから語ろう。「ひとりじゃない」について。

 

まず最初のハモリは手越君が上ハモで増田くん主線。その後のAメロ。先程も書いた「よくいるタイプの僕」の部分を歌うのが手越君だ。

『いやまて君のどこがよくいるタイプなんだ…!?』と一瞬思うが、ここで「summer time」のMVに映る手越くんを観てみよう。山Pの後ろでにこにこしてる目立たないタイプの茶髪の頃の手越君がいる。

今でこそ無敵のハートのエース手越祐也だが、ヒーローがもともとは平凡な主人公だったように手越くんもそうだったのだろうと思う。だから尚更このAメロはグッとくる。

そして安定安心、高音にも低音にも定評のある職人増田貴久がBメロ、そしてサビの主線を伸びやかな歌声で歌い切る手越くんを支えるのである。

 

さて、テゴマスの曲は曲ごとに歌の役割が決まっている分、ハモリと主線が複雑に入れ替わる曲が多いのだけれど、この「ひとりじゃない」も例外ではない。

そんなわけで先程、手越くんが歌うサビの主線を支えてた増田くんも当然のように2番のサビで主線になる。その点だけで言えば「青いベンチ」も同じだ。主線を歌う方が2番で入れ変わる。しかし、「ひとりじゃない」の場合は違う。

青いベンチ」はハモリもそのまま入れ替わる。つまり主線・下ハモは固定のまま歌う人だけが逆になるのだ。

対して「ひとりじゃない」は主線が入れ替わるとハモリも上下で入れ替わる。手越くんが主線を歌えば増田くんは下になり、増田くんが主線を歌えば手越くんは上になる。…が"君がいる"の部分はハモリが固定なのでそのままそっくり入れ替わる、という複雑さである。

特にソロのサビから大サビにかけては、歌が歌えない私にとっては名人芸としか言いようがない。

この曲をテゴマスは顔色1つ変えずに、客席に目を向けてファンサをしながら、相手にも釣られず、たった一瞬のアイコンタクトのみで完璧に歌い切る。それはどのくらい練習すれば、そして、どのくらい相手を信用し、なおかつ相手に負けない自分を持っていなければならないのか、私には想像がまるでつかない。

正反対のテゴマスが生み出すユニゾンはバトルであり、その結果生まれるのがあのどちらも音をひとつも外さない、自然なまでの完璧な調和なのだ。こうして「ひとりじゃない」の衝撃はテゴマス2人で完成する。

 

まとめ

 

ほぼ4年放置して、いきなりこれは長すぎる。7000文字だぞ。ここまでたどり着いた人いるのか?正直最後の曲のハモリについては、あまり自信がない。私は音楽に精通してるわけじゃなくただのオタクなのであまり詳しくない。

一応ここは私の独壇場なので90%くらい当たり前のような顔でつらつらと偉そうに語ってはいるが、私の友人の手越担になにかの拍子で読まれたらそこに関してはなんらかの指摘が来る気がする。もしくは、ここまで読んだ優しい人に是非「ひとりじゃない」を聞いてもらって矛盾があったら指摘して欲しい。

 

テゴマスは正反対と言ったが、音楽に対する向き合い方は同じ方向を向いているのだと思う。

「ひとりじゃない」の歌詞解釈にも書いたがプロセスは違うだけで、結果は合致しているのかもしれない。

そういう部分で見ても「ひとりじゃない」はテゴマスが歌うとエモくて最高で、あんなに衝撃的なのだ。声の相性や才能や努力だけではない何かがテゴマスの曲にはある。

今回はたまたま「ひとりじゃない」だったけれど「HIGHWAY」もかなり好きだ。あれも曲だけ聴けば割と単調なのにコンサートで見る衝撃たるや。ハモリの複雑さでいえば「Over Drive」も興味深い。

今度再び衝撃を受けることがあれば、こうしてまた好き勝手にオタクらしく書いていきたい。これらは全て私の頭の中の考えなので、こういうやつもいるんだなぁ程度に見てもらえれば嬉しい。そして全人類はテゴマスを聴こう。

 

 

山田涼介という絶対エースを考える

※注意:下書きにずっと保存されてたものに後半書き加えているので基本はずっとJUMPing CARnivalを見た時の衝撃を文章にしているオタク。

 

 

 

恐ろしさを感じた。

 

いや、前々から、それこそ本格的にHey!say!JUMPの沼に肩まで浸かる前から山田くんには漠然とした恐ろしさを感じていたのですが、ライブツアー2015『JUMPing CARnival』を見て私が何に恐れていたのかがわかった気がする。
 
ファン心理、というものがある。
こうして欲しい、あれして欲しい。あれが似合うからこういうものを着て欲しい。可愛い着ぐるみの衣装を着た時は可愛く踊っていてほしい、ファン心理というものは、ファンでなくてはわからない、往々にして公式と多少のズレが生じるものである。
 
そういうものである、いや、むしろあってほしい。相手はアイドルだけど本人は20代の男性なのだ、異性の考えることを予想するだけでも大変なのに、そこにプラスアルファでアイドルを本気で天からの贈り物と信じて疑わないオタク女の心理なんてわからなくていい。
 
『JUMPing CARnival』にユニットのソロアングルが入っていないのも、恐らくそのズレが原因だろう。
…おかしいな…なんでなんだほんとに…コーナー自体がそんなに長くないからか?体感時間としては5・6時間あったのに。
 
 
 
だが、この人を単体で見たときに、ズレた事があっただろうか。
 
山田涼介が魅せる自分と、同じく山田くんが見たいファンが考えたファン心理が、今までそれ程にズレた事があっただろうか。
して欲しいタイミングでウィンクをし、して欲しいタイミングで舌を出し、して欲しいタイミングで視線を流し、完璧なタイミングでウィスパーボイスを決める。
 
マルチアングルを、smartで初めて見た時、嬉しいのは嬉しいけどどんな感情で見たらいいのかわからなくなった。
ちょっと気恥ずかしいというか、落ち着かないのだ。
山田くんを探してしまった、無意識に。
あんなに待ち望んでいた歌待ちの髙木君もろくに見れず絶対エースを探していた。
 
好きな人がいる、ずっと見つめていたい人がいるのに山田君が恋しい、編集点が見つからない、山田くんがいないと何処でキャーって言えば良いのかわからない。
 
グループプロデュースの鬼は、関ジャニに孤高の黒を背負ってる方がいらっしゃるけれど、個人的な自己プロデュースの鬼は山田くんがダントツ飛び抜けている。あっ、増…。
 
『JUMPing CARnival』を見てそう確信した、ケイトとのユニットでの山田くんの服装が完璧過ぎたからである。
綺麗な顔に、襟ぐりの広い白いセーター、萌え袖、ロックなパンツ、カラコン、金髪。
 
 
ビンゴ表が穴だらけ、おめでとうございます。
いつから私は山田君の作り出す世界が、 自分の世界だと錯覚していた?これぞいわゆるラスト五分目を離すなというやつなのかもしれない。
 
オタクが美少年に産まれたら間違いなく1番したい格好を美少年がしている事実。しかもなんとその天使は存在しているらしい。
この世に生まれてよかった、絶対エースと同じ世界線に生まれただけで勝ち組である。
ありがとう、山田涼介、まさか蝉になるとは思わなかったけどこれからもずっと錯覚させてほしいと思う。
 
 
 
 
 

箱推しについて考える。

偽善者という言葉が頭を過る。

私が中学生の頃よく知りもしないで使ってた言葉だ、大人になって一応意味を理解して自分の過去を振り返って恥ずかしくなったものだ。

 

NEWS全員が好きだ、自担はいるけどいわゆる箱推し。NEWSの掛け合いが好きで、あの雰囲気が好きで、写真を買うときは満遍なくみんなが見える。

それが悩みの種でもある、1人に絞れないのは私の中に一本の軸がないからで、いろんな人のいい面を取り込んで、フラフラ彷徨っているから、だから私は現実に恋を出来ないのかもしれないし、たった1人のアイドルにガチ恋できる人間が羨ましい。

 

週刊誌に抜かれたらしいと、友人の増田担のツイートを見て知った。

私の心境は思いのほかフラットで、週刊誌に対する怒りも、アイドルに対する嘆きもなかった。

週刊誌はそれが仕事だし、真偽は別として記事には流行があるからその流れか、とも思う。でも抜かれた本人を叩くのはファンがその人のプライベートな生き方にまで口を出して、勝手に思った人生観を押し付けているみたいで嫌だった。

3次元のアイドルに画面越しで恋をする、と言うことは、必ず誰かのフィルターを通してその人を見てるいうことで、悪い面も見えないが、その人のいい面だって完全には見れない。

なので、その人の事を理解したつもりになって叩くのは傲慢なんじゃないか、というのが私の考え方である。

人間は変わらない、人の価値観は変えられないし、変えようともしたくない。それは個性がなくなるのと一緒だし、みんな同じ考えじゃないからこそ共感した時に友達や好きになれたりする。

だから、私はNEWSがどんな人でも、そういう人達のいい面だけを作られたフィルター越しに見て好きになったのだから、その人に石は投げられない。それが画面越しに恋ができる最大の利点である。

 

随分立派な事を言っているな、と思う。

尤もらしく、まるで好きなものから一歩引いているような意見だ。

 

嘆きも怒りもしないというのは、興味がないのと同じじゃないだろうか。

 

友人の増田担、手越担で話している時に増田担が「小山が好きじゃない、嫌いかもしれない」と言った。箱推しでいたかったから、嫌いという感情を押し込めたせいでモヤモヤしていた、と。

確かに聞いていて増田担の仕事への向き合い方と小山君の見える仕事の向き合い方が前々から真逆の価値観だなと思っていたので「嫌い」という感情はすんなり受け入れられた。(シゲのことは好きなのでまだモヤモヤしてるっぽい)

それが個性だし、そういう面も含めて増田担が好きだしそれが嫌だとも悪いとも思わない。

けど、グループ内で誰かの事は好きだけど誰かの事が嫌いになる場合もあるんだ、と初めて思った。考えてみたら個人が集まっているのがグループなのだから、当たり前である。

人の個性、価値観云々、そんな事を尤もらしく思っていたのに、どうして今までその発想がなかったのか。

私ももしかしたら、その可能性を考えたくなかったのか。

 

好きってどういう事だろう、私はもしかしてNEWS自体の熱に冷めてしまったのか。人を好きになるという感情がそもそも無いのではないだろうか。

でも、頭を幼稚園児に戻して、もし担任の先生に「NEWSのことはすきですかー?」とニコニコ笑顔で聞かれたら「すきーだいすきー、てごしくんかっこいーからー、シゲアキくんもけーちゃんもなかよしだし、まっすーもだんすうまいからだいすきー」私はこうなる。

言葉と行動と感情が伴ってないかもしれないけど、私はNEWSが好きだと言える。それがNEWSが今まで私に与えてくれた力とか勇気とか、コンサートで嬉しかったり楽しかったりする半永久的な貯金が私の心に残ってるからだ。もし、どうにかなってしまってもずっとNEWSが好きだ。

もう1人の私が自分の事を偽善者だと思っていても、聞かないふりと見ないふりは得意なんだ。

それもある意味NEWSが教えてくれた事だった。

EPCOTIAで神席に当たった話。

今年はオーラスのチケットが取れなかった。

 

デジタルチケットになってから、目の前のスマホで手間をかけずにいつでも申し込みが出来るようになった。

私の初デジチケ当選は2018年のカウコンである、その時は仕事から帰る途中に申し込み期限が迫っているFCメールが来たので、そのタイミングで応募したのだった。そして当選。

…だから、つまり、「コンサートも申し込み期限が迫って来ているギリギリで滑り込んだ方が当たる確率が上がるかも。」と思ったのだ。

 

結果を言うと、忘れていた。

 

オーラスだけすっかり応募するのを忘れていた。

チケット戦争、戦うどころか、リングに上がりもしなかったのだ。

 

あああああーーーー!!!!!!

 

毎度おなじみ、毎年一緒に行く予定の増田担と手越担、3人で話し合った結果、増田担がオーラスを応募した、その結果は落選。

やっちまった………。

2人は優しいので、大丈夫だよーと言ってくれたけど、私は私を世界の果てまでぶっ飛ばしたい。

 

そんな事もあって、私たちのオーラスは静岡になった。

オーラス、入れないのが残念で、ぼんやり力が入らない気持ちがあったけれど、ここは切り替えていかないと全てのことをなあなあに過ごしてしまいそうで怖かった。

特に私は、考え事があるとコンディショナーも流さないで風呂から出てくる女である。

 

せっかく増田担は宮城、手越担は静岡を当ててくれたのだ、無駄にはしたくない。頭からつま先まで神経を集中させたい。

なにかの偶然が重なって、ふとアイドルと目があったとして、全然かわいい笑顔とか出来ないで能面みたいな顔になって(な、なんだ……?)と思われたとしても、ちゃんと記憶したい。

 

オーラスが全てではないし、前向きに考えればDVDでも観れるという信頼。

そもそも静岡の公演もオーラスくらい素晴らしいはずだ、だってあのNEWSだもんな。

 

静岡エコパアリーナ、車が進むにつれNEWS担が多くなる。ここにいるみんながNEWSのこと好きなんて、最高過ぎる。

3年前、コンサートやジャニショ独特の女の独占欲が渦巻くような雰囲気が苦手だと言っていた自分が嘘のようだ。

元々平和主義だけど、年々心の棘が穏やかになっている気がする。成長したのかな?いや、歳か…。

 

車の中やラッピングカーの前で写真をたくさん撮って、毎年の通り楽しい拗らせっぷりを堪能した。幸せだ、しかもこのあとコンサートが観れる。やっぱり気持ち切り替えてよかった。

 

 

そして開場時間、大勢のジャニオタ達が入口へと向かい、並ぶ。そこはさながらコミケ会場縮小版である。

デジチケになって、1番変わったことは「席が当日まで検討もつかない」ということ。

不安と焦りを覚えたジャニオタの中で様々な推測が飛び交っているが、中々やっぱり番号だけじゃ席を確定する事は難しい。

 

そんなわけで、列に並んでる間に受付を通った同士の叫び声が後ろまで響いている。サザンのライブもこうなのかな…。

のちにこの叫び声に救われる事になる。

 

受付が近付いてくる、目の前に見えるのは「←スタンド、アリーナ、スタンド→」の文字。入れればどこでもいい。コンサートが見れればどこでもいい。だけど、人間とは本当に欲深い生き物で瞬時に「スタンド、天国、スタンド」と置き換えてしまった。

死後の世界で閻魔大王の振り分けを待っている人ってこんな気持ちなんだろうか。だったとしたら、無になどに還らずこの記憶のままそこへ行きたい。

 

「センターステージの周りがいい。DVDでよく写ってる席がいい」

 

気がつくと、それまで友人達と「入れればいいよねぇ」「後ろかもしれないよねぇ」「でも入れればいいよねぇ」と誤魔化してきた欲が、意識もせずに小声でするりと口から出てしまった。

驚く手越担。頷く増田担。

禁句ではあった、なぜなら期待してしまうから。勝手に邪な期待をして、そのくせ裏切られたらショックを受けるから。

 

チケットが発券される。「宇宙旅行へ行ってらっしゃい」といわれ、夢の国ばりに作り込まれてる世界観のお姉さんに感動する、発券したチケットを裏返しに渡してくれるのも素敵。

まあ、表で渡して目の前でジャニオタに叫ばれちゃお姉さんも堪らないよな。

 

チケットは裏側のまま。

「行くよ、行くよ」「まって!」「行く…」「え?」「まって!いいよ!」「え?」「はい!」

表に返すと増田担がいち早く「ひゃーーー!」と叫んで手越担が「アリーナ!?」と言った。

私はというと1番最初に列の番号が飛び込んできて「あら、結構後ろの方だわ…」なんて思っていたので、アリーナの文字に全く気づかなくて、ワンテンポ遅れてしまった。マイナス思考、そういうとこだぞ。

叫び声でアリーナの文字を見つけて「ひゃーーー!」と言ってしまった。はっと気付いて周りに迷惑かけてるかも、と口を塞ぐが、周りもそこら中で「ひゃーーー!」「ひえーーー!」「嘘でしょーー!」「やったーー!!」となってるから特別目立つことはなかったように思う。よかった。なんとなく、受験合格発表の日を思い出す。

 

とにかく早く席が見たくて、アリーナへと続く階段を降りた。この階段を降りれるのがほんとうに嬉しい。

 

列を数える。番号は後ろの方だから、トロッコで来てくれればファンサ貰えたりする位置かなあ?ステージ見辛くなっちゃうかなあ、でも私が見て来たNEWSのコンサートはいつも、ファン全員の近くに行けるような構成に作ってくれているし、アリーナに入れるだけでもう満足だ。

 

結果、センターステージの真正面だった。

 

ほぼ対面の距離でNEWSがパフォーマンスする席。DVDで憧れてた緑の柵も見える。銀テもその他も飛んでくる、目の前で銀テが落ちることがない。

震えた。

 

「……………トイレ」

「……あ、…」

「わたしも……」

「……あ、トイレ…」

しばらく席で呆然と座って、本当にここか、追い出されないか?間違っていないか?と疑いながらも、脳の端っこで言葉覚えたてのゴリラのような会話をしてトイレに並びにいく。

きゃっきゃっとしてにこにこしてる周りと打って変わってここの温度が違う。

「くるま…」

「え?」

「車で帰るとき…事故らないようにしないと…」

「手越……」

「まじで気をつけよう…そこは……」

「今日命日でも逆にあり…」

「まっすーの活躍が見れないなんて嫌だ…」

「て、手越……」

 

きゃっきゃっと出来たらどんなにいいか、望んだものが手に入ると人間は喜びの後に恐怖が襲ってくる、らしい。

完全にキャパオーバーだった。

 

コンサートが始まってから終わるまで、憧れの席で、NEWSを全員見た。

手越くんは顔が綺麗だし、増田くんがしてるアクセサリーの質感まで見える、加藤くんの汗も、小山くんの長い手足も高画質で撮っているカメラのすぐあとに見てる。

そこに生物状の女がいるという事を確実に認識されてる距離。

 

コンサートが終わった。

 

私の第一声は「つかれた……」だった。

あんな神席座っといて、疲れたとは何事だ、と思った人もいるだろう。

だけど、個人的には精神がとにかくすり減る席だったんだ…。

もちろん、パフォーマンス全部素晴らしかった、見やすかったし、ダンスも表情も歌も演出も最高だった。

ただ、私は人一倍自意識が高い。多分、過剰なくらい見られてる事に敏感だし、見られてなくても見られてると思ってしまう。そんな状態で、こっちにNEWSが全員歩いて来る。

途中で止まったりしない、真っ直ぐこちらに向かって、ギリギリまで歩いて来る。

 

「好きな人にいいお客さんだと思って貰わなければ」と思った。

 

私は真剣になると眉を顰めて棒立ちになるタイプで、今まで座った席ではずっとそうしていて、ある意味とても気楽な感じで見ていた。

「うしろも見えてるよ」とは言ってくれる、そういうNEWSが大好きだけど、集団として紛れることができる事にものすごく安心感と余裕を覚えていた。

 

が、今回は別である。

落ち着いたもう1人の私が「いや、そんなアイドルも一人一人なんか見てないよ」と言って来るけど、果たしてそうか?

例えばスタンドで変顔してもバレないけど、今回の席でいきなり変顔したら「!?」ってなるはずだ、バレるじゃないか。

 

率直にいうと、とても気を遣った。仕事でサービス業をしてるがそれくらいの体力を消耗した。もう一度体験したい、とも思うが、一回でいい、とも思った。

NEWSは多分そんなつもりじゃないだろうし、気楽に楽しんでくれるのが1番!くらいに思ってるかもしれないけど、そこは愛故、無理だ。すこぶる重たい愛故無理だ。

好きな人が目の前にいるんだ、2時間も。それはもう、好きになってもらいたい、いいお客さんでありたい。

 

増田担は、念願のファンサをもらって泣いていた。ふと隣を見るとまっすーがいて「まっすーじゃん!?」ってなってたら増田担の方を見ていて、「ありがとう」って言ってた。

私より前に見ていた、手越担が言うにはまっすーの歌詞が聞こえなくて変だな、と思っていたらしかった。

 

手越くんも加藤くんもステージのギリギリに来るときは基本後ろの方の人に幸せをあげていて、全然目が合わなかったけど、ふわっと甘い匂いがしたからもう秒で他界。

現世は正直ここで終わった。

 

幽霊になったまま、うちわから落ちた花びらまみれのハートを拾う。

疲れと、失恋した気持ちと、もっとちゃんと、いい感じのお客さんが出来たんじゃないかという自分の不甲斐なさが、どしっと襲ってきた。

その立派な反省を私生活にも生かしてもらいたいものである。

 

今日はオーラスで、この記事を書いてる間に15周年コンサートが味の素スタジアムで決まった。

…というLINEが増田担から来た。

さすがは私の尊敬するガチ恋勢、情報を捉えてくる早さはダッタン人の矢よりも早い。

 

味の素スタジアムのコンサート、絶対行きたい。あんなにつかれたとか言っておきながら、アリーナ入れるだけで素晴らしいとか言っときながら、これである。

本当に人間は欲深い。でも10周年は祝えなかったから、うちわにおめでとうの文字を刻みながら持っていたい。

今度は申し込みを忘れないようにしなきゃなと思う。

 

 

 

夢に自担が出てくる意味を考える。

ちょっと仮眠をとっている間に1人のアイドルがとんでもないことになっていた。

いつでも夢が覚めた後に大変なことが起きる、ただ、今私が向き合うべき所はそこではなかった。

 

いい夢を見たと思った。

 

このところ夢を覚えている眠りの方が少なく、アラームの音でぼんやり目を覚ましてTwitterを見ている間に忘れてしまうような夢ばかりだった。

どうしてそんな夢を見たのかというと、多分この間、NEWSの静岡公演から帰ってきてから始めて長い時間寝たからだと思う。

夢とは記憶の整理だとよく言われるけれど、だから、つまりはそういう事なのだろう。

とんでもない衝撃を受けてダイレクトに脳へ刻み込まれたあのキラキラとした輝かしい記憶を、寝ている間に反芻しつつ整理していただけなのだ。

 

いや、だからといって、

 

自担と寝る夢はかなりやばい。

 

事実のみを淡々と整理してくれればいいものを、なにも捏造と願望と欲望を織り交ぜたものを寝ている間に見せなくてもいいじゃないか。

今年27歳になるんだ、私は。

夢に好きなアイドルが出てキュンキュンする歳はとうの昔に過ぎただろうに。

世間から見れば「まだ20代なんて若いじゃない」と言われがちだけれど、自分自身から見れば今が一番歳を取っている、好きなバンドのボーカルが夢に出てきて発狂した時よりも大人でいたい。

周りのみんなが結婚している、アイドルを追いかけつつも旦那さんがいる友達もいる。

アパートでひとり、彼氏もいないし部屋も汚い、壁にはアイドルのポスターが山ほど貼ってあり、定職にもついていない女が、見た夢が、アイドルと寝る夢!

 

ショックだった、頭を抱えながら私はサイゼリアにいた。

コンサートで実物を見たあとでの、その夢はさながらバイト先の知り合いと寝ちゃったみたいな気分だ、なんだか気まずくて、ポスターだらけの部屋に居づらくなったのだ。

自担と寝た夢を見ることについて考える。夢は記憶の整理と同じく、願望の表れともいう。深層心理を映し出している鏡のようなものだと。

 

願望…願望なのだろうか。

自担と寝てみたいという願望?

 

以前は確かに少しはあった、四年前くらい、けれど年を重ねるにつれ更に欲が減ったなあと思う。

今回のコンサートだって「自担への恋愛感情を拗らす」いうよりは、席が所謂神席という場所で、目の前に確かに自担が存在しているどでかい衝撃の方が勝り、恋という感情に浸る余裕がなかった。

私の自意識が「いいお客さんでいよう」と勤め、公演後はどっと疲れた。

もちろん素晴らしい公演だったけれど、聖域に初期装備で入ったダメージはでかい。

となると、あの夢は身体の防衛本能の一種ではないだろうか。

あまりにも1人の生活を寂しく感じ、どうしようもなく人恋しさをも感じた私の身体が、脳に指令を送ってせめて夢の中で人恋しさを満たして、孤独から精神を守ろうとしてくれたのかも。

 

発狂しそうだ。自分で自分を鈍器で殴り続けてる気分になってくる。

あと、今更ながら私は自意識が過剰過ぎる。

誰も私の夢など興味ないし、どういう状況で見てるのかもわざわざ言わなきゃわからないのだから、自担と寝た夢を「わー、ラッキー」とポジティブな心で素直に脳からのプレゼントを受け取っておけばいいんだ。

そう、起きた時の第一印象は紛れもなく「いい夢をみた」と思ったのだから。

考える事が全てにおいていいのかというとそうでもない、考える事が良くない場合もある事がこの世には多分沢山あるはずだ。

自担と寝る夢を見てよかった、こんなことに気付けるなんて。アイドルってすごい。哲学の塊。

実際ものすごく幸せな夢ではあった、忘れたくなくて何回も反芻してしまった。

でも起きて、気付いて、中学生の時に好きなバンドのボーカルが夢に出てきて「うそ!夢!?やだーー!最悪すぎる!嘘だよね!?」と思っていた私と「あ、いい夢だったな」と思った今の私では、今の私の方が現実への適応力が凄かった。

その点ではやっぱり少し大人になったんだろう。少しじゃない。大人なんだよ。

大人になっちゃったんだなあ。

 

ポスターだらけの部屋に帰って、この文章をまとめていたらもう夜が明けていた。たくさん余計な事を考えて疲れ切った頭ではろくな夢も見れないだろう。

 

こんな私と寝る夢を見られてるなんて、アイドルってほんと大変な仕事だなあ、申し訳なさが凄い。

ただ、なにかの媒体で手越くんが「俺で好きなだけ妄想してもいいよ♡」的な事を言っていた、初見凄いこと言うな、と思っていたけど、その言葉を思い出して少し救われる。

 

 

そうやってこの文章を締めようとしたんだけれど、今もうひとつ、夢に自担が出てきた決定的で単純な要因に気が付いた。

 

私はその夢を見る前日に「NEWSに恋して」を起動していた。

ルートが実装されてない自担といつのまにか付き合い、仕事の合間を縫って密会し、一泊旅行にまで行くような関係になっていた私は、絶賛イベント真っ最中の担当ルートを夢中で走った。

「プレミアend」という少女漫画さながらの甘過ぎる物語りを読んで、シナリオの完璧さ、全く起きない公式との解釈違い、人に伝えたかった自担の魅力がここに詰まっているシナリオに馬鹿みたいに大満足した笑顔のままその日は寝た。

 

もう、絶対このせい。

絶対このせい。

 

あー、なんで忘れてたんだろー。気付けてよかったなー。なんだよ、防衛本能って。やだなー、ほんと。恥ずかしいわ…すぐ頭良く見せて繊細なフリしたがるんだよなー。こういうところ嫌いだわー…。

 

そういえば、友達の増田担もこのゲームに狂わされ、ある意味ものすごく苦しんでいたな。

 

…さて、もうほんとに寝よう。

自担ルートが実装されたら、今度はどんな夢を見るんだろう。

それでどんな事考えるんだろう、怖くもあり、楽しみでもある。

脱退について考える。

大学の時、何かでとても落ち込んでいたわたしは何もかもが嫌になってその時片足を突っ込んでいた関ジャニ∞主演のエイトレンジャーを観に行った事がある。

その時は関ジャニ∞に対する熱量はそこまででもなく、もともと飽き性で気が多い性格でジャニーズのファンクラブに入るという考えも、特定のものにお金をかけるという考えもなかった。

なので多分いつものテンションだったなら劇場に観に行くことなんてしなかった気がする。

でも、なんだか、本当にその時は頭の中に「消えたい」って思いしかなくて、でもそれは周りの人のことを考えると考えちゃいけないことで、とにかくだから、なんでもいいから元気が欲しかった。

コンサートDVDだって47しか見た事がなかったしジャニ勉をみていただけだったけど、関ジャニ∞は元気をくれるんじゃないかと当時の私は思ったわけだ。

 

結果見終わって、たくさん笑って、シアターから出ようとするとエイトファンの女の子二人組に後ろから話しかけられた。

「大きなPRポスターの前で写真を撮って欲しい」という彼女達を画角に収めながら、ポスターの前ではしゃいでる写真を2枚撮る。

ギラギラした赤いケースに入ったiPhoneを返す時に「お姉さんも撮ります?」と明るい笑顔で言われてそれに慌てながら首を振ると「ありがとうございましたー!」と元気に帰って行った。

春一番に巻き込まれたみたいだった。

車に帰って暫く椅子に座る、明るくて楽しそうな彼女たちに触れてさっきまでの落ち込んでいた気持ちが軽くなっていた、どうやら私は寂しかったらしい。

人に元気を与えてくれるグループには人に元気をあげられるファンが付くんだな、とぼんやりと思った。

 

その事を思い出した私は26歳になっていた。もともと飽き性だった私はNEWSのファンクラブ会員になって三年になる。特定のものにお金をかけるという考えにもなったし、アイドルを崇拝する様にもなった。それが進化なのか退化なのかはわからない。

NEWSの静岡公演2日目、ホテルで着替えてる時に関ジャニ∞から重大発表があった。

重大発表の五分前、「おそらくその発表は悪い事ではないだろう、夏のツアーが決まったのかもしれない」と増田担に話していた。週刊誌には抜かれていたけれど、悪い事というのは前触れなく起きると思っていたからだった、仕事に疲れて寝ている間にKAT-TUNが3人になったときのように。

 

第一印象は「えっ」だった、少しして「ありそう」と思った。ただそれは、「誰かが抜けるという運命が必ずこのグループに訪れるとすれば」、一番可能性がありそう、という事で、そんな運命は訪れないと思っていた。

記者会見をみて「思い出に残っていた事は?」と聞かれて「楽屋でメンバーとたわいもない話をしていた事」と答えても尚、自分の人生を優先したいという考えを聞いて、なんとなくグループの真ん中で前だけまっすぐみて、手を伸ばしながら力強く歌っている様子を思い出した。

その様子がかっこよくて好きだった。でもそのまま振り返らないでグループから抜けて、行ってしまうとは。

思い出の積み重ねで生きていく人じゃないんだろうなあと思った。例えば、作ったプラモデルを綺麗に並べて辛い時に眺める人じゃなくて、その時、その時、全力でプラモデル作りを苦労したり悩んだり楽しんだりして、作ったものは箱にしまって、また別のプラモデルを作り出す人。

だから、あの記者会見をみて「なんであんなに仲よかったのに、グループにいてもその活動はできなかったのか」とは思えなかった。

楽しい記憶を忘れたわけじゃない、昔の曲やバラエティをやりたくなかったわけじゃない、また新しいものを作りたくて、それには時間が必要になっただけだったんじゃないだろうか。

 

だけど、後ろからその背中を見ていただろう人は記者会見で泣いていた、PONでは後ろにライフが流れていて辛かった。

飲み込む事は出来るけど、それはそれとしてやっぱり寂しかった、こんな風に再認識したくなったというのは私の勝手な考えだけど。

 

静岡の2日目、最後の挨拶で手越くんが「周りに関ジャニ∞のファンがいたら元気付けてあげてください」と言った。

あの時元気をくれた女の子は私の周りにはいない、何をしているのかもわからない。でももし落ち込んでいたら心の整理がついてますように、元気になりますように。

 

 

テゴマスのコンサートがあって欲しいと、考える。

 

テゴマスのコンサートまだかな~。

はやく発表にならないかな~。

おかしいな~おかしいな~。

 

他にやらなければならないことを考えつつも、1日1回は考えてしまう。

日本デビューの日にアルバムの発表があってほしいな~と思っていたから余計である。

いやいや、しかし、増田くんも手越くんもやりたい!と言ってくれているのだから信じよう、なんか、年内には決まらなそうだけど。泣きたい。

 

きのう、日記を遡ってびっくり。

 

1月の前半にはNEWSのコンサート決まってるじゃん!!??

アルバム発売も決まってるじゃん!!

 

4がつから6がつまでのツアーだったら1月には発表なのだ。

 

まいったな~…、もしテゴマスのツアーが年内発表じゃなかったら…1月だったら。NEWSのツアーはあるのだろうか。

テゴマスあってもNEWSのツアーがなかったら、それはそれで少し、いやめちゃくちゃ寂しい。

もしかして、前半テゴマスで、後半NEWSとかないかな?

いや!それはそれで!それはそれで!

 

もしかして25日のおしゃれイズムで、諸々相殺とかないよね!もう~それはそれでつらいよ~、1時間NEWSって最高だけど…やっぱりツアーはして欲しい。

 

けど、待つしかないのか。

なんというか、結局は彼らが幸せに毎日を生きていてさえくれればいいのだ。そうそう。そうそう。

 

そう…

 

カウコンもね、Mステもね、あるし。

当たってないけど!

 

10周年とはなんだったのか…となってしまいそうなのが一番ダメージでかい。

 

ちょっと前に増田担が言ってた、職場のキスマイ担の人から「派生グループのコンサートはなかなか難しいですね~」って言われた一言に心を突き刺されたという報告を思い出す。

 

スマホ変えたのであまり会話は覚えていないけど「派生なの?テゴマスってゆずみたいな認識だったけど、やっぱ派生なんですかね…」的な内容のLINEが来ていた時は、思わずかんがえてしまった。

 

派生かあ…そう言われたら、そうですけど…そうですけど、テゴマスのコンサートDVDは凄いんだぞ、クオリティめっちゃ高いんだぞ!生演奏だぞ!!歌もうまいし、声の相性だってめちゃくちゃいいし、楽曲だっていい歌ばっかりなんだ~!なにより超絶聴きやすい!

 

凄いんだよ、かっこいいんだよ、全世界の人がファンになればいいのに。

 

コンサートないのかなあ、アルバム出ないのかなあ…、次はテゴマスの奇跡とかじゃないんですかね…。

 

毎年とは言わないけど、せめて節目の報告的なものは欲しい。

 

何より、10周年おめでとう!って言いたいわけで。

真っ黒な伝言板使って、見えてるか見えてないかの距離でもいいから、押し付けがましく言わせて欲しい。

 

勿論、NEWSはみんなすきだけど、ことテゴマスに置いては、なんとなくNEWSのコンサートじゃ、言いづらい雰囲気がちょっとだけある。

テゴマス自身が、NEWSの時にはあまりテゴマスってかんじ出したくないって言ってたのを昔どこかで見たような気がして、それもあるかもしれないけど。

 

まあでも、NEWSでいったら、コヤシゲだって好きだし、テゴマスだって好きだし、NEWSが好きだ。

 

いっそ、団扇の文字は、「テゴマスおめでとう!NEWS大好き!」にすればいいのかな?

ちょっと情報多くないか、そもそも私、緑着てるし、もし運良く言葉が届いたとしても、一瞬で入ってくる情報多過ぎて結局なにも伝わらなそうだ。

 

あっ、でも、NEWSの来年のツアーで、テゴマスとコヤシゲのユニットがセトリに入ってたらいいなあ。そしたらちょっと言いやすくなるかもしれない。

 

一番はどっちも欲しいですけどね!!

 

テゴマスのコンサートまだかな~。

発表おそいな~。

おかしいな~おかしいな~。

 

星がたくさんのメールがくるまでは、あしたもあさっても考えてしまうんだろうな。