恋心あふれでる

考えてみよう。

アイドルにガチ恋する人の気持ちを考える。

ガチ恋とは、


アイドルのファン用語を見ているとガチ恋枠というものがある。
その名の通り、そのアイドルが好きで好きでたまらなくて、本気の恋をしてしまう現象である。
共演者に嫉妬し、それでも次元の壁はあついのでそのモヤモヤとした気持ちを押さえ込み、ある人はSNS西野カナになりポエムをつづり、ある人は誰も見てない裏アカでミリアになってそのストレスを発散するのだ。

少し話はずれるけれど、ゲスのお兄さん。
やっぱりファンはまだたくさんいるみたいで、彼はバンドマンなので極論をいえば中身が倫理的に反していても曲が良ければ問題ないのだろう、罪は両成敗でも、当然リスクは丸腰のいつも明るいお姉さんにいってしまう。
なんの業界事情もしらない私から見て、そんな何百億の理性がぶっ飛ぶほど好きだったのだろうか、と不思議でたまらない。

ああいう恋は、世間的には許されないけれど、少し、羨ましいなと思う。
色々ぶっ飛んだ噂を持ってくるハートのエースも若干羨ましい。
あんなゴツい針のついた靴で何も恐れず恋という言葉は的確ではないのかもしれないけれど、進んでみたい。

こういう思考がダメな異性を呼び込んで、同性にでさえ流されるのもわかっているが、出来ないからこそ羨ましいなと思うのだ。

話を戻して、これは私の個人的なはなしだけれど、ジャニショの雰囲気が苦手だ。
それは女子特有の、なんていうんだろう、独占欲が渦巻いている感じがする。
コンサート会場も同じ理由で少し苦手だ、すごいとおもう。
あんなたくさん、自分の好きな人を好きな人がいる環境の中で、独占欲を醸し出して闘志を燃やす女の子達は凄い。

独占欲というものが昔からまるで無い。
出来れば穏便に、戦わずに済ましたいので、誰かが好きで一人しかうちわが持て無い世界なら私はやめたっていい。
でもそれは逆を言うと、大切な軸が無いのと同じではないのだろうか。

譲れる私にとって譲れない女の子は尊敬の対象であり、恐怖の対象でもある。

恋をする子は、一本ちゃんと大切なものがある。フラフラなんて全くして無い、突き抜けてる自担というものが彼女達にはある。

私の友達の増田担もガチ恋で、彼女の世界は増田くんしか見えない。

それ故に増田くんと女の子が共演している番組を二度と見れない苦しみを抱えている。

もういい大人だからと言って、増田くんを独り占めしたい感情を無理矢理押さえ込んだためか、増田くんの祖母ちゃんに生まれたかったと呟く重症っぷりである。レメディーは彼女に効かない。

増田くんのファンはガチ恋枠が多い気がする、さすが自己プロデュースの鬼増田くん。小山くんと、加藤くんにはリアルな彼女が居そうだし、手越くんは連載持ちだし、という間をうまく縫っているあたりもすごい。

そんな彼女の気持ちを理解したいのだけれど、どうも難しい。
私は加藤くんが好きだけど、テレビの女の子にモヤモヤしたことは一度もない、なんなら超ど級の恋愛ドラマとかにでてほしい、ど素人の女の子に壁ドンしてほしいし、ヅカ抱きしてほしい。
コンサートの時こっち見てくれないかなあとか思うけれどこれはそうなのかなあ。多分違うな。

あまりにも理解できないので、恋が出来ないのかとなんだか自分がダメ人間のように思えてきた。

増田くんの番組を二度と見れない彼女は気の毒だが、その代わり恋ができてるじゃないかと羨ましい。
現に増田担は結婚しているわけで……。

アイドルはカタログから選んだ理想の相手ではなかったのか。
それで私は加藤くんを選んだんじゃないのか。
何故、ガチ恋ができないのか。

アイドル相手に、ガチ恋、しても地獄、しなくても地獄。
ならば、理性がぶっ飛ぶほどのガチ恋をしてみたい。私の理性には何百億の価値もないし、Twitterで特定されたくないのでモヤモヤは裏アカで吐き出す地味な恋になるだろうけど。

いつか彼女の心を理解できる日が来ますように。